「20世紀初頭ハンガリーにおける国民化と暴力:義務体育制度の確立過程から」
 戦間期ハンガリーのホルティ体制は、旧支配層主導による多党制からなる議会の存在が強調され、一定の自由主義体制と評価されることがある。一方で、反共・反民主主義・「キリスト教国民」主義のイデオロギーを基調とする権威主義体制でもあった。このときナショナルな統合を支える装置の一つとして体育が挙げられる。20世紀初頭以来、身体の規律化を通じた国民統合の手段として学校外体育の拡充が重視されるようになったが、政策立案者は第一次大戦中にこの政策の具体化が試みられた際に浮上した、統合の方法をめぐる問題への対処を迫られた。そして、大戦後の混乱期の暴力が突出した状況において、この克服の方策が創出されることになる。本報告では、1920年代に定着していった義務体育制度を、ホルティ体制に埋め込まれた暴力として捉え、その確立過程と様態の分析を通じて、この時代の社会像を再検討しようとするものである。

戻る