▼社会文化科学研究科「『場所の感覚』の総合政策的検討」プロジェクト共催
「『場所の感覚』をめぐる連続セミナー」
【第2回】「『場所の感覚』と自治」報告

 6月12日に第2回「場所の感覚」をめぐる連続セミナー(第19回公共政策セクション対話研究会)を開催しました。今回は「『場所の感覚』と自治」というテーマで、千葉大学21世紀COEフェローの宮崎文彦さんと、千葉大学大学院社会文化科学研究科の角田季美枝さんから、ご報告をいただきました。当日は15名ほどの方が参加され、濃密な議論が繰り広げられました。
 角田さんのご報告「『場所の感覚』と『補完性の原理』の関係――鈴木庸夫先生の2本の論考から」では、「場所の感覚」と「補完性の原理」から市町村職員の役割を考えるという問題意識のもとで、鈴木庸夫先生の2本の論考が紹介されました。
 まず、「政策法務と自治体改革の法原理」という論考は、地方自治や分権の議論に登場する「補完性の原理」を「当事者主権」と結びつけ、住民自治に内実を与えるとともに、自治体職員の「政策法務力」に期待するというものでした。
 また、「土地利用規制と自治体:『近代化主義』と『地域主義』の対抗」という論考は、土地利用制度の歴史と思想をたどることで、近代化主義の限界を指摘し、「まちづくり」の思想や「地域主義」の定着を求めるものでした。そこではE.レルフの「場所」と「没場所性」についての議論を下敷きに、場所のセンスの重要性、住民の視点への留意、自治体の役割の重要性が指摘されています。
 角田さんは、この2本の論考を結びつけ、どちらにも自治体職員への期待が示されていること、「補完性の原理」は「場所の感覚」と関係が近いことを言及されました。しかし、角田さんは、本当に職員に期待できるのかどうか疑問を呈され、また、「場所の感覚」と「補完性の原理」を生かす制度を国の制度として制定することの矛盾を指摘されました。それに対して、鈴木先生ご本人からリプライがあり、自治体職員の政策法務力向上の意義や職員研修の状況などを紹介されたほか、自治体職員の今後の役割として重要なのは、住民の「場所の感覚」を引き出すファシリテータの役割であると指摘されました。
 宮崎さんのご報告「公共哲学としての『補完性原理』」では、「補完性原理」が源流にさかのぼって解説され、その上で「公共哲学」における意義が考察されました。
 まず「補完性原理」の源流を、@ローマ教皇ピオ11世の社会回勅、Aアリストテレスと聖トマス、Bアルトゥジウスの連邦主義、CEU憲法草案の4つに整理されました。これによって、従来、論者によって理解や用法がまちまちであった「補完性原理」の総体的な輪郭を描くことになったと思います。
 その上で、日本において「補完性原理」が「民営化」として理解される向きがあることを批判し、ドイツにおける「AVK原則」(任務・権限・責任を一貫して下に降ろしていく)や「連結性の原理」(事務の委任と財政的保障をセットにする)を紹介しながら、「補完性原理」について正しい認識をもつよう訴えられました。
 そして、「補完性原理」には、「より大きな集団は、より小さな集団(究極的には個人も含む)が自ら目的を達成できるときには、介入してはならない」という「介入制限の原理」と、「大きい集団は、小さな集団が自ら目的を達成できないときには、介入しなければならない」という「介入肯定の原理」の両面があることが指摘され、この両面性を活かすことによって、「補完性原理」は「公私」「官民」二元論から脱却し、集権的でなく多層的な公共性を実現するための「公共哲学」になりうると主張されました。
 その後の討論では、小林先生から、"宮崎さんの説明は、「補完性原理」が、現在論じられている「分権・自治」や「政府間関係」の議論との間に緊張関係があることを示唆するもので、非常に重要な問題を提起している"というコメントがありました。また、司会の倉阪先生から、"「補完性原理」は、「場所の感覚」や「多元性の保証」という観点のみならず、「冗長性の確保」などといったサイモン・レヴィンによる生態学的な持続可能性原則とも結びつくのではないか"というコメントがありました。このように、今回のご報告は、「場所の感覚」の問題のみならず、政治学の議論や持続可能性の議論にも示唆を与えるものであり、短い時間でしたが密度の濃い研究会になりました。

2006年6月12日 16:00〜18:00

千葉大学マルチメディア会議室(人文社会科学研究系総合研究棟2F)

(リサーチ・アシスタント 吉永明弘)

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