▼国際公共比較第9回対話研究会報告
「18世紀リヨンのギルドについて:地方都市の産業と社会編成」

 国際公共比較部門の第9回対話研究会では、本研究センター所属学術振興会研究員(本学大学院社会文化科学研究科博士課程)の鹿住大助氏が、「18世紀リヨンのギルドについて――地方都市の産業と社会編成――」と題する研究報告を行った。
 本報告では、(1)研究史:現在にいたるまでの「コルポラシオン」・「ギルド」をめぐる議論の潮流、18世紀フランス史およびリヨン都市史におけるギルド研究の動向、(2)ギルドからみた18世紀リヨンの社会経済およびリヨンの各ギルド内の規模・市政参加・構成の状況が示された。
 (1)については、現代におけるコルポラシオンをめぐる議論がアンシャン・レジーム期のギルド・イメージに回帰する傾向にあり、そうした議論によって先行されるギルド・イメージに対して、歴史研究がギルドの実態を分析していくことの意義が強調された。その上で、フランス史全般の研究史について整理がなされ、近年のギルド研究の動向として、従来の閉鎖的なイメージから身分上昇が可能であった点に注目し、その「開放性」・「流動性」が主張されるようになっているとの指摘があった。その上で、報告者は、フランス史におけるギルド研究がパリに主眼を置き、地方都市の具体的な情況についてはなお不十分であるとし、リヨンのギルドについて取り上げると述べた。リヨンのギルド研究の動向として、まず、18世紀にリヨンは絹織物業の中心地であり、国内流通・国際貿易の拠点であったことから、同職種のギルド研究が盛んであるとし、近年の研究成果として、1、絹織物業における階層分化と同業種内の親方・職人間の争議、2、ギルドから排除された人びと(女性や港湾労働者)に対する管理の分析を通じて都市秩序のあり方が論じられているという。報告者は、今後のリヨン・ギルド研究の課題として、制度的な枠組みの変遷を分析すること、絹織物業以外のギルドを考察に入れること、またフランス全体におけるリヨンのギルドの特殊性を明らかにする必要があると述べた。
 (2)については、18世紀のリヨンがパリに次いでフランス第二の人口(18世紀末に約146,000人)を抱え、中世以来、パリ・南仏、イタリア、ドイツ方面の商業流通の中継地であったこと、16世紀以降、織物業・印刷業の中心地として、18世紀からは絹織物業の産地として発達していったことが指摘された。その上で、報告者は、リヨン最大の絹織物工のギルドに加え、車大工、製靴・靴修理工の各ギルドの規模・市政との関与・構成についての説明を行った。まず、規模については、車大工ギルド、製靴・靴修理工ギルドの親方数がそれぞれ18世紀末に約130人および18世紀半ばに約400人であったのに対し、絹織物工は18世紀末に親方数は約6,300人、職人・徒弟などを含めて約18,500人、さらに絹織物関連業種を含めれば、リヨン全体で約35,000人に及び、人口の4分の1を占めていたことが指摘された。このように絹織物業が経済的に突出した地位を保持していたにもかかわらず、市参事会との関係においては、国王・高等法院によって認可を受けた「宣誓ギルド」である絹織物工ギルドと市によって認可を受けた「規制ギルド」である車大工ギルドには、形式上の区別は存在しなかったという。各ギルドは取締役親方によって運営され、視察・集会などが行われた。そして、市参事会には、各ギルドによって推薦され、選出・承認を受けた取締役親方が参与していた。最後に、ギルドの構成については、基本的には、親方−職人−徒弟によって構成されるものの、カトリック教徒であること、あるいはリヨン外部からの職人の加入に対する規制があったこと、また、絹織物工については、親方の家族構成員以外の女性労働者をギルドから排除していたことが指摘された。また、製靴工ギルドと靴修理工ギルド間の利害対立や、絹織物工内で階層分化が進んでいたことについての説明があった。
 討論では、市政へのギルドの影響力、ギルドの「閉鎖性」の内実、リヨンの産業発展とギルドの制度の変容の関連性、絹織物生産における分業のあり方、また報告内容がアンシャン・レジーム期の統治構造の解明にどのように結びつくのかなどについて質問があり、報告者と参加者の間で活発な意見交換がなされた。今回の報告は、今後、現地の文書館で史料を調査するための基礎となる内容であり、今後の研究の進展が望まれる。

2005年9月28日 17:00〜19:00

(COEフェロー 浅田進史)

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